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第一章 少し、不思議。
[すこしふしぎ。]
2010年6月18日 7時57分の記事



イラスト:えいな

 人間は誰にだってミスはある。
 それは仕方のないことだ。
 問題はそのミスをどう挽回し、次に進むかだと思う。
 人は誰だって弱い。
 それは変えられない。
 問題は自分が弱いと言うことを知ることだと思う。

 本当の強さは、弱さを知っていると言うことだから。

 多分……。

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「は〜。何とか手続きも終えた……」
 俺は今出てきた校舎を見上げる。
「やっと、やっと日本で暮らせるんだ……」
 そう呟くと、俺は涙が出そうになるのを必死にこらえた。
 そう、ここまで長かった。
 俺がどれだけの努力をして、ここに立っているか、誰も知る由もないだろう。
 日本に在住し、日本の学校に通う。
 多くの人間がそれを当たり前のように与えられる。
 だが、この世界にはそうでない人間も数多くいることを忘れてはならない。
「とりあえず、行くか。荷物も重いし」
 そう言うと俺は学校を背に歩き出す。
 のんびりとした、田舎の風景が俺の目に入る。
 こんな平和な風景を、これから毎日見ることが出来る。
 それが嬉しい。
「んんっ」
 俺は伸びをした。
 春の風が心地よかった。
 俺の名前は、中山昇。
 普通の高校生だ。
 都会生まれの都会育ち。とは言っても、洗練されたシティボーイとか、そういうタイプの人間でもない。
 ま、都会っ子とかそういう言い方のほうがあってるかな。
 そんな都会っ子が何故こんなところにいるのか。
 それはいたって簡単な話だ。
 親父がいきなり海外出張になったからだ。



「実はな、父さんしばらくフランス支社で働く事になったんだ」
 親父がそう言ったのはいきなりの事だった。
 具体的には帰宅した俺を待ち構えて、玄関で突然そう言ったのだ。
「はあ? またずいぶん急だな」
「以前から打診はあったんだがな、今回正式に辞令が出た。来月にはフランスへ渡る」
 そう語る親父の声は弾んでいる。
 ま、本人がいいのなら、それ以上は言うまい。
「そうか。じゃあ、いつ帰ってくるのか知らないけど、達者でな」
「何言ってるんだ、家族で行くに決まっているじゃないか」
「はあ?」
 俺は聞き返した。
「だから、お前も来るんだ」
「来るんだって、いきなり言われても……第一俺、来年は受験だぞ」
 さすがにこの時期、海外に引っ越すのは、受験にも、そして将来にも不利だ。
「大丈夫!」
 なんだか自信たっぷりの親父。
「何がだよ」
「フランスの大学は優秀だ」
「知るか!」
 思わず思いっきり怒鳴ってしまう。
「知っているだろう、私がフランスの大学の修士号を持っていることを」
「そりゃ聞いたけど」
 親父は学生時代からフランスかぶれで、フランスの大学に留学していたことは子供のころから何度も聞いた。
「懐かしいなあ、フランスパン、カフェオレ、クロワッサン……」
「嘘くせえ……。日本を出たことがない日本人の発想と一緒じゃねえか」
 だが、親父の言うことは全く信用できない。いつもこんな感じで、フランス語を話しているところも見たことがないし。
「ま、私は勉学に勤しんでいたので周囲の流行には疎かったからな」
「で、向こうで何の勉強してたんだよ」
 まさか語学留学なんて無意味な事してたわけじゃあるまい。
「日本語文学」
 だが、その回答はそれ以上に無意味なものだった。
「……何しに行ってたんだよ」
「とにかくだ、フランスはいいところだ。みんなで向こうで暮らそう」
 押し切られた。
「嫌だ」
 俺は押し返した、
「何?」
「俺は日本の大学に行きたい。だから日本の高校に残る」
「我侭言うな。第一、一人で残ることなんて出来ないだろう?」
 親父は真っ当な攻撃に出た。何だかんだ言って、俺はこのおっさんに養われている身なのだ。
「親戚に預かってもらうとか何とかあるだろうが」
「残念だったな。うちは親戚の数が少ない。知ってるだろう」
 勝ち誇ったように言う親父。
「じゃ、じゃあ、居候先見つけたら日本に残っていいんだな!?」
 だが、諦めるわけには行かない。確かにフランスはいいところかもしれないが、俺は日本の中で村社会を形成していたいんだ。
「無理だと思うがな。分かった。やってみろ」
「よし、やってやる!」



 そう言ったのが 少し前。
 その後、思いっきり現実を目の当たりにした。
 啖呵を切ったものの、みんなで行こうと言っている親父達は当然何もしてくれない。
 だから、俺は自分で何もかもをしたのだ。
 まずは俺を居候させてくれる親戚を探す。
 これがまたとても大変だった。うちは狭いからだとか、年頃の娘がいるからだとか、様々な理由で断られた。
 そして、何とか見つけた遠い親戚の高見さん。
 老夫婦で子供は既に就職・結婚して都会へと行ってしまったそうで、部屋も空いているとか。
 そして俺は高見さんの在住地、この帆垂町で高校を探し、編入届けを出した。
 ようやく諦めた親父から保護者印をもらって、今日登校して、やっと手続き完了だ。
 後は、その遠い親戚の高見さんのところに行くだけだ。
 今日中に学校の手続きしておかなきゃならなかったから、こっちに先に来たんだよな。
 声では優しそうなご老人だったがどんな人だろう。
 送ってもらった手書き地図によると、確かこの先の十字路を右折して、その先の坂を上ったところだ。
 荷物も重いし、さっさと行くか。
 俺は田舎道を歩き始める。

 ………………。

 あれ?
 いつまで歩いても十字路がない。
 俺は地図と路面を見比べる。
 やっぱりさっきのY字路は右だったのか?
 いや、普通Y字路があったら、地図に書くだろう。
 となると、あのY字路が十字路だったのか?
 とりあえず、戻ってみよう。

………………。

 も、もしかして、迷ったかな。
 地図と地形が全然合わない。
 まずい、このままじゃまずいぞ。
 一旦駅に戻ろう。それが一番だ。


 うん。帆垂駅。間違いない。
 まあ、さっき学校に行って手続きしたんだから、間違いはないよな。
 じゃあ、この地図が間違っているのか?
 うーん、確かに俺は高見さんのことを全然知らないけど、とりあえずもうろくしてそうには見えなかったし、人を騙すような人には思えないんだよな。
 とは言え、これはどうしたもんだろう。
 あ、学校は自分で調べたから、地図は持ってるんだったっけ。
 地図と高見さんの地図を見比べて、向かう事にしよう。

………………。

 えーっと。
 地図と、高見さんの地図は全く一致する部分がない。
 何が起こった? 地殻変動でも起きて地形が変形したとか。
 いや、それなら普通に考えて地図より高見さんの地図の方が新しいからこっちで辿り着けるはずだ。
うーん……。

…………。

 あー、もう面倒だ。高見さんの住所を交番で行って教えてもらおう。
 えーっと、確かバッグの中に住所を書いたメモが……。
 お、あったあった。えーっと、帆垂町の……?

…………。

 おや?
 この「垂」の字、なんかおかしいな。
 癖字だと思ったが、これ、普通に呼んだら「乗」じゃないか。

………………。

……え?
 帆「乗」町……。
 そ、そんな……。
 まさか……。
 俺は地図を開き、帆乗町を探す。
 すると、いとも簡単に帆乗町は見つかった。
 場所は、ここから120キロほど離れたところ。
 しかも間に山があるため、遠回りしなければならない場所。
「お……」
 残念な事に、高見さんの地図とぴったり一致した。
「おおおおおおおつ!?」
 俺は謎の雄たけびを上げた。



「はぁぁぁぁぁぁ…。」
 俺は、深いため息を付いた。
 あのあと、しばらく呆然としてたものの、とりあえず、腹が減ったので、駅のそばの一品料理屋に入った。
「和風ランチ 550円」という張り紙に惹かれたのだが。
 しかし、これからどうしたものか。
 手続きをもう一度やり直すには、前の高校と、この高校にまた訪れて事情を説明しつつ、新しい高校を探すしかない。
 それこそ途方もなく面倒な作業だ。
 もしくは、この辺りで下宿先を探して通う。
 だが、そうするには親父の仕送りはあまりにも少なすぎた。
 この辺のアパートの家賃がどのくらいかはわからないが、家賃や食事その他の生活費を賄うのはとてつもなく困難な事態となるだろう。
となると、面倒でも再手続きをするしかない。
今までは、親父への意地もあるし、必死だったから面倒な手続きもやってはこれた。
だが、気の抜けてしまった今となっては、途方もなく苦痛な作業だ。
「はい、和風ランチお待たせしました」
 顔を上げると笑顔で笑う店員さん。
「あ、ありがとうございます」
 その、俺と同じくらいの歳の店員さんがやけに元気だったので、思わず丁寧にお辞儀をしてしまった。
「いえいえ、どういたしまして」
 さらにお辞儀を返す店員さん。
「ところでお客さん、さっきからため息ばっかりついてましたけど、何かあったんですか?」
「え?」
 意外なことを意外な人に聞かれて、俺は驚く。
 この子はそこまで俺を見ていたのか。
 と、辺りを見回すと、俺しか客はいなかった。
 嫌でも俺に注目してるしかなかったんだろう。
「それが……ぐずっ」
 俺は泣いて女性の同情を買うという、情けない特技を持っていた。
「……うわぁぁぁぁん!」
「……ちょ、ちょっと? お客さん!?」
 とりあえず泣いてみた。
 店員は慌てるが、何をしていいか分からずおろおろしている。
「お、お客さん、落ち着いて」
「ぐずっ、すみません、すみません……ぐずっ。親に捨てられ、親戚に裏切られたこの身には、あまりにも暖かい言葉……思わず、泣いてしまいました」
 捨てられた犬のような目でそう言ってみた。
「親に捨てられって……何があったんですか?」
 店員は同情を含んだ声で訊く。
「実は、ある日学校から帰ると、家がもぬけの殻状態だったんです」
「ええっ!?」
 俺は別に嘘をついているわけじゃない。
 親父達は、フランスに引っ越す前、家財道具を全て搬送して、一週間くらいホテル住まいをしていた。
それから旅立ったので、その間、家には家財道具はなかった。
 もちろん、その一週間は俺もホテルで過ごした。
「呆然としていると、次々と親父に用がある、親父を出せ、という人たちがあわられ……」
「まさか、借金取り?」
「分かりません。ただ、親父には世話になったので借りを返すと。もしくは金払いについての話し合いがしたいと」
  俺は深刻そうにうつむいて語る。
 む、和風ランチはアジの焼き魚か。
「やっぱり……可哀想に……」
「その後は大騒ぎになり、何も出来ない僕は、ただただ立ち尽くして言われるがままに耐えていました」
 店員が同情の目で俺を見る。
 俺はアジを見る。
 いや、この話も間違いではない。
 親父は町内会で役員をしていたので、会の人たちが送別会を開きたいと言い出した。
 町内の会計を親父が握っていたから、支払いが終わってない部分について訊いておきたいとも言われた。
 その後の送別会がまたとんでもない大騒ぎになって、大変だった。
 親父とおふくろが俺の将来について好き勝手言いだして、それに他の人たちが乗って、酒の肴にされた。
 親父たちだけならともかく、近所の人もいたので、俺はなかなか反論も出来ず、言われたままになっていた。
「そして、親戚の家にお世話にならなければならなかったのに、たらいまわし。やっと住ませてくれるという人がいたのでこの町に来てみれば、そんな人はどこにもいない」
「どこにもいないって……どういうこと?」
 店員はもう、目を潤ませている。
「最初からこの町にいなかったんです。僕はこの町の高校に編入手続きをして、通わせてもらおうと思っていたら、この町にいなくて、もうどうしようもなくて……」
「騙されたの? でも、そんな……」
 店員は目を真っ赤にして俺の話を聞く。
「もう、こうなったら、最後の手段かな、と思っていたところです」
 最後の手段は、安い宿借りて下宿するしかないわけだが、生活がギリギリになるので出来ればやりたくない。
「最後の手段って、まさか……駄目っ! そんなに簡単に結論出しちゃ駄目っ! 生きていれば、いい事だってあるんだから」
 店員が叫ぶように言う。
 目には涙を浮かべ、本気で俺の身を案じてくれているようだ。
 うーん、ちょっとやりすぎたかな。
 いままで人情が淡白な都会で生活していたから、他人にここまで同情してくれる人間に会ったことはない。
 何だか、かなり悪いことをしている気がしてきた。
 そろそろ本当のことを切り出さないと……。
「あー、あのですね、実は……」
「どうしたの早佳奈、大声出して。お客さん、まだ帰ってないんじゃないの?」
 俺が話を切り出そうとした時、奥から中年女性が現れた。
 その態度から見て、店長もしくはそれに近い人だろう。
「あ、お母さん」
「あら、お友達?」
 店長は俺と、俺の前の席に座る店員とを見比べて言った。
 確かに店員が客と同席していたら、そういう店でない限り、知り合いだと考えるのが妥当だろう。
 て言うかいつの間に座ってたんだこの子。
「違うの。お母さん聞いて、この子、とっても可哀想な子で……」
「あ、いえ、そういうわけでも……」
 俺は慌てて言い直そうとする。
「どういうこと? 話が見えないわ」
「あのね、この子……」
「あ、あの……」
 だが、俺の止める間もなく、店員は俺のことを語りだした。



「ぐずっ、悲惨な話ねえ。この世に、ぐすっ、希望も見出せないなんて……」
 店長は娘である店員より涙もろかった。
「いや、その……」
 俺はもう、本当の事を言い出せなくてとても困っていた。
「でしょ。でもね、生きていれば何か希望が見つかるかもしれないよ。諦めないで」
 何だか俺を励まし始める店員。
「いえ、その……」
「こんな子をこのまま帰すわけには行かないわよ。よし。あなた、うちに住みなさい」
「え?」
 店長はとても突飛もない事を言う。
 それは願ってもないことだが、さすがに誤解させたままでは申し訳ない。
 本当の事を言って、丁重にお断りしよう。
「えっと、実はですね……」
「そうね。私と同じ学校みたいだし、ちょうどいいんじゃない?」
 俺が口を開いたところに店員が割り込む。
「で、でも、同じ年くらいの娘さんのいるところにお世話になるのは……」
 俺が当然のことを口にする。俺がお世話になれる親戚の家を探していた時、一番のネックが年頃の娘さんの存在だ。
 その家に娘がいるということそれだけでほぼそれを理由に断られた。
 それは当然のことだと思うし、そうしない親は変わっていると思う。
「あたしは別に気にしないよ」
 なぜに?
「ま、うちには離れがあるし、そこを使えば何の問題もないわ。いいから、遠慮せず住みなさいな」
「え? あそこ使うの?」
 店員の方が少し驚いたように言う。
 離れって、何かあるのか?
「あそこは寝室じゃないけど、布団敷けば何とかなるわよ」
「う、うん」
 店員が少しだけ、複雑な顔をした。
「で、あなたの名前はなんていうの?」
「あ、中山昇です」
 俺は勢いで断るのを忘れて名乗ってしまった。
「昇君ね。わたしは落合和枝。この店の店主よ。で、こっちが娘の早佳奈」
「よろしく、昇君」
「は、はあ、よろしく」
 にこやかに自己紹介をされ、とりあえずお辞儀をした。
「じゃあ、早佳奈は昇君を部屋に連れてってあげて。私が店のほうやっておくから」
「はーい。さ、こっちよ」
 早佳奈と名乗った店員は俺を店の奥へと導く。
 俺はその後に続く。
 彼女は調理場を抜けると、居間と思しき場所に上がる。
「ここで靴は脱いで。あ、脱いだ靴は持ってきて」
 俺は彼女に指示に従って靴を脱いでそれを持つ。
 そして居間の向こうの庭へ。
「ここで庭に降りるから、靴を履いて」
 彼女が言うので俺は従う。
 庭はそれなりに広く、店のものだったと思われる廃棄物がいくつか転がっている以外はなかなか手入れされていた。
 その中心に、小さな小屋がある。
 小屋というにはおしゃれで、ちゃんとした建築物ではあるが。
「あの部屋よ」
 彼女がそこを指さして言う。
 そこは明らかに母屋の和風の造りから浮いていた。
「随分立派な離れですねえ……」
 俺は素直な感想を述べた。
「あのさ、それ、やめない?」
「え?」
「その、敬語よ」
 早佳奈は、俺の言葉遣いが気になるようだ。
「あたしたち、同じ歳みたいだし、学校も同じなんだから」
「うん、そう言うならそれでいいけどさ」
 俺が言うと早佳奈は満足げにうなづく。
 初見通り、かなりさばさばした性格のようだ。
 スポーツでいい成績を残していそうな印象を持つ。
 厳しいところは厳しく、あっさりとしているところはあっさりと。
 ま、会って数分での感想に過ぎないが、少なくとも、普通の女の子は同じ歳の見ず知らずの男を自分と同じ家に住ませようとは思わない。
「じゃ、そこで靴はいて」
 俺は言われるままに靴を履き後に続く。
 離れの部屋は鍵もなく、誰でも開く構造になっていた。
 物騒かもしれないが、少なくとも密室トリックには使えまい。
「ここが今日からあなたの部屋よ」
 そう言って彼女の広げた手の向こうを見る。
 そこは、沢山の本や写真、民芸品などがある。
 整理された勉強机に、いくつもの本棚。
 個人の部屋というよりは事務所、いや、執務室といった感じがする。
「ここは……誰かの部屋?」
「…………」
 早佳奈は黙って部屋を睨みつけていた。
「いや、言いたくなかったらそれでもいいんだけど」
「別に……」
 彼女は少し不愉快そうにそう言った。
「妻や子供の心配も顧みずに危険なところばかり行って死んじゃった人が住んでただけよ」
 早佳奈は少し不機嫌そうに言う。
 その言葉で何となく、ここが彼女の父親の部屋であること。
 しかも、既に死んでいることが分かった。
「あ、ごめん、変なこと訊いて」
「いいよ、そんなこと。それよりあなたこそ大変だったんじゃないの?」
「……え? う、うん。その……」
 突然話を戻されて、俺は戸惑った。
「大変だったんだよね、うん。一番信頼してる人に裏切られたんだからね」
「え、いや……」
 今ならまだ嘘はついてないんだよな。
 俺は少しだけ迷って、このままだまし続けることにした。
 仕方がない、多少気は引けるが、俺も生きて行かなければならない。
 この恩はいつか返すから……。
「いや、親は恨ないさ。むしろ、生んでくれた事に感謝しているくらいだ。でなければ俺はここにはいないんだから」
 俺は笑顔で笑ってみせる。
 こういう時の笑顔はかなり効果的だと、俺の甘え人生の経験が語る。
「こんなになっても、親を恨まないなんて……あんたって、本当に……」
 少し目を潤ませて彼女が俺をじっと見つめる。
 その、哀れみと優しさに満ちた瞳は俺の罪悪感を煽る。
 俺はこんな純粋に他人の心配してくれる子を騙すのか?
 いや……。
「あの、さ」
 俺は思い切って口を開く。
「何?」
「実は……」
 ………………。
 俺は本当のことをすべて話した。
 早佳奈の顔は俺が話を進めていくごとに険しくなっていくのが分かった。
 話していて、とても怖かった。
「つまりあんたは、フランスに行くのが嫌で、親戚に居候しようと思ったらその親戚の住所を間違えたと」
 確認するように早佳奈が言う。
「それをわざわざあんなふうに言って同情を引こうと思ったと」
「いや、同情を引こうと思ったのは確かだけど、まさかこんな事になるとは思わなかったから……」
 俺は何とかいいわけを考える。
「まあ、あたしやお母さんが強引だったのは認めるわ。結局のところあんたが学校に通うために住むところがないのも事実だし、出て行けとも言わない」
「え……?」
 意外だった。俺はてっきり追い出されるものかと思っていた。
「けどね……」
 早佳奈が、にっこりと笑う。
 この笑い方が怒りを伴っているということを分かるほどに、俺は彼女の事を知りはしなかった。
「二度とそんな言い回しするなっ!!」

 ばしぃっ!

 思いっきり殴られた。
 俺は彼女には二度とこんな言い回しをすまいと思った。
 多分、三分くらいは。


 で。
 俺はここ、一品料理かずに住み込む事になったのだが、当然の如く、夜は手伝いをさせられる。
 日曜は休みだが、土曜の昼も手伝いだそうだ。
 まあ、それくらいはわけない。
 前の学校にいた頃にアルバイトしなかったわけでもないし。
「まずはメニューが分からないと注文も取れないから、まずはお品書きを見て一通り覚えて」
 服を着替えた早佳奈がメニューを差し出す。
「あんたはあんまりお客さんの前に出なくていいから。あたしの手が離せない時だけ出てもらうからね」
「分かった」
 俺はメニューに目を通しながらそう答える。
「でもこの子、なかなか可愛いから、お客さんの前に出したら、女性客が増えるんじゃないの?」
 和枝さんが早佳奈に言う。
 可愛い。
 よく言われることだが、男としてあまり嬉しくはない。
 だが、俺は女の子から見ればとても母性本能をくすぐるタイプなのだそうだ。
 だからこそ、昼のような同情をひくという特技を身につけてしまったのだが。
「あのね、家庭料理を売りにした居酒屋に女の人がそうそう来ると思う?」
「来てるじゃない。足立さんとか」
「あの人が珍しいの! 普通は来ないわよ自分で作れるような料理出す店なんて」
 早佳奈の言葉に、和枝さんは不満もあったようだが、黙っていた。
 娘の方がしっかり者のようだ。
「じゃあ、今日はお母さんの……」
 早佳奈が俺を向き直り、指示を出そうとした時。
「あわわっ、きゃああっ!」
 早佳奈の声は和枝さんの叫びにかき消された。

 ぐしゃぁ
 何だか鈍い音がした。
「お母さん? どうしたの……あぁぁっ!」
「何だ?」
 早佳奈の叫びに俺も振り返る。
「あ、卵が……」
 見ると、和枝さんが割れた大量の卵にまみれていた。
 その表情は、今にも泣きそうだった。
「大丈夫、お母さん?」
「ああ……でも、卵がほとんど割れちゃったよ」
 情けなそうに言う和枝さん。
「あ〜、もう。掃除はしておくから着替えて来て」
 早佳奈は和枝さんを追い立て、掃除道具を取り出す。
「いつもすまないねえ」
……いつも?
 いや、何も考えないようにしよう。
「いいわよ。それより卵がなくなっちゃったから、買いに行かなきゃ」
「あ、俺行ってくるよ」
 この場にいても大して役に立ちそうにない。
 お使いくらいなら出来るだろう。
「そう? じゃあお願いね。元山鶏卵さんは駅の向こう側だから。道を真っ直ぐ行くと見えてくるわ」
 早佳奈が言う。
 この店が駅前だから、そう遠くないな。
「分かった」
「電話しておくからね。かずのお使いって言えば、分かると思うわ」
「ああ。じゃあ行ってくる」
俺はそう言うと、店を出た。





「ふう……」
 重い。
 俺の思っていたよりも卵は重かった。
 店で使う分だからそれなりに大量になるのは仕方がない。
 だが、抱えられる程度の数でもあったし、大丈夫かと思った。
 ダンボールの中に、紙で作った簡易的な緩衝剤とともに卵は入っていた。
 しかし、腕はすぐに悲鳴を上げた。
 そもそも、来る時からきつくはあった。
 早佳奈は「道を真っ直ぐ行けば見えてくる」と言った。
 それは、都会育ちの俺にはせいぜい50メートル程度の事だと思う。
 だが駅裏に広がっていたのは地平線すら見えそうな広大な田畑。
 確かに見通しのいいそこからは養鶏場と思われる建物は見えたが、いくら歩いても近づいて来ない。
 やっとついたと思ったらこれだ。
「やっと、駅まで戻って来れた……」
 俺はちょっと休憩したかった。
 だが、俺の居候先は、駅を渡ったらもう少しだ。
 腕は痺れてかなりまずい状態だが、もう少し頑張ろうと歩く。
 腕の限界は近い。
 自然、かなり早足になる。
 辺りは徐々に暗くなってきている。
 だから、これは起こるべくして起こったのかもしれない。

どんっ

「わわっ!」
 何かが身体に当たる感触。
 声が聞こえてきたということは人とぶつかったんだろう。
 しかも、声からして女の子だ。
 それは俺のバランスを崩すほどではないが、限界寸前の俺の腕からダンボールを奪う程度には強かった。

ぐちゃっ

 不吉な音とともに広がる視界。
 そこには女の子が尻餅をついていた。
 どうやら俺はこの子とぶつかってしまったらしい。
「いたた……」
「ごめん、大丈夫?」
 俺はとりあえず問いかける。
「うん。何とか大丈夫だよ」
 女の子はそう言いながらゆっくりと立ち上がる。
 その背は少し低く、顔立ちから見て、年下の子じゃないかと思う。
「ボクはいいんだけど、そっちは大丈夫?」
「ん? いや、俺はなんともない」
 俺はぶつかったと言ってもバランスすら崩してはいない。
「君じゃなくて、その箱」
「え? ああっ!」
 俺は自分の足元に落としたダンボールの存在を思い出す。
 落とした。
 確実に落とした。
 これだけの高さから落としたんだから、何個か割れているかもしれない。
 下手すると全部割れている可能性もある。
「ああ……ど、どうしよう」
 あの母娘のことだ。事情を話せば許してくれるだろう。
 だが、これ以上迷惑をかけるのは心苦しい。
「…………」
 女の子がじっと俺を見上げている。
「……今日は赤字になるんだろうなあ……」
 だが、俺は今、自分のことだけで精一杯だ。
 まあ、元をただせば和枝さんの失敗が原因であって、自分のせいだけではないにしろ、自分が赤字の原因を作るのは耐えられない。
 とは言え、起きてしまったことは嘆くしかない。
「大丈夫だよ」
 女の子が明るく言う。
「……何が?」
 俺はそれどころじゃなかったが、一応聞き返した。
「中のものは元に戻してあげたよ」
「へ?」
 女の子が変なことを言い出した。

「ボクは魔法使いだからね」

 その小さな口から出た、自信たっぷりの言葉は、日常会話ではまず使わない単語が混じっていた。
「…………」
 何かの喩えなのか、それとも皮肉なのか、もしかして本気で言ってるのか。
 とにかく、彼女は俺がゲームをしている時にしか口にしないし耳にもしない言葉を吐いた。
「魔法使い……だって?」
「あ、その顔は信じてないね」
 女の子は少しむっとするような、そしてやっぱり、と諦めたような顔をした。
「とにかく、ボクは元に戻したから。もう落とさないようにね」
「あ、おい」
 女の子は黄昏の中に消えて行った。
 取り残された俺は、地面に落ちた卵を見る。
「……魔法だって?」
 信じるとか、信じないとか、そういうレベルの話じゃない。
 幽霊やUMAはもしかして、というのがある。
 見たことがないだけで、その存在を否定できない。
 だが、魔法はあまりにもファンタジーの世界の話だ。
 あの子が何を思ってそう言ったのか分からないが、とにかく俺の方は現実を見るしかない。
 俺の足元にはダンボール。
 ぐしゃ、という音とともに落ちたダンボール。
 その中身を確認しなければならない。
 もしかして奇跡的に割れていないかもしれない。
 俺はダンボールを開ける。
「……あれ?」
 ダンボールの中には卵があった。
 三重に重ねられた卵の段。
 数十個の卵。
 その全てが、元の姿を保っていた。
 つまり、割れていなかった。
「どうして……?」
 落とすとき、確かに割れるような音がした。
 常識的に考えて、卵をあの高さから落とせば割れるだろう。
 なのに、割れていない。

「中のものは元に戻してあげたよ」
「ボクは魔法使いだからね」

「まさか……」
 分からない。
 奇跡的に割れなかったのかもしれない。
 あの子はそれに気付いて、悪戯でそう言ったのかも知れない。
 とにかく、魔法なんてこの世にはない。
 だとしたら、この現象をどう説明すればいいんだろう。
 俺は悩みながら、店に戻った。

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1. 一葉 2010年6月20日 22時55分 [返信する]
お疲れ様です(^^)

コレ、無料で読めているんですが…

ここまでは無料でよいのかな。


さて…

続き続き(^^)

 


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